野口医院
2020-1-31

12月のレコードギャラリー(アート・ペッパー)




 今月は、白人アルトサックス奏者のアート・ペッパーです。
 1940年代よりスタン・ケントン楽団やベニー・カーター楽団で活動を開始する。1950年代には自己のコンボを結成し、ウエストコースト・ジャズの中心的な人物として活躍しました。
 彼は、生涯を通じて麻薬中毒によりしばしば音楽活動が中断しています。1960年代後半を、薬物中毒者のためのリハビリテーションで有名な施設シナノンで過ごしました。1974年には音楽活動に復帰し、ふたたび精力的にライブやレコーディングを行うことになります。15才の頃にドラッグを覚えて以来、ヘロインがサックスを 吹いているとも言われたようです。それほど当時多くのジャズミュージシャンは、麻薬と切っても切れない関係性は、ジャズに限ったことではありませんが、ジャズはその一瞬のインスピレーションが必要とされる即興演奏主体であるが故に、より多くの有名麻薬常習者を輩出したのは、その実績を考えると非常に「伝統」のあるジャンルと言えるではないでしょうか。昨今の芸能人の薬物問題にも通じる事ですが、ドラッグを肯定するつもりはありませんが、ただオーディエンスの立場から言うと、ドラッグをバリバリきめたミュージシャンが作った音楽が、あの当時一世を風靡したということ、そんな中、当時彼からは圧倒的な精神力と感性が必要だということかもしれません。それこそ50~70年代の音楽は、まさにドラッグミュージック、言い換えれば、薬と共にあった音楽だと言えると思います。
 彼は、いわば破滅型ジャズマンの典型でもあります。しかも、薬物依存のリハビリのため1960年(35歳)から1975年(50歳)の15年間がほぼ空白。そのため彼の演奏は、空白期間の以前と以後で分けて論じられることが多いようだ。もちろん、この空白期間そのものを惜しむ声も多いです。1980年に出版された『ストレート・ライフ・アート・ペッパー衝撃の告白自伝』(1980年)そうした薬物との壮絶な戦いや、悲惨な家庭生活が細密に描かれています。
 彼の空白以前の演奏は、DISCOVERY (1952年)JazzWest(1956 年)TAMPA 、INTRO、CONTEMPORARY へと続くわけですが、当時の彼の魅力は愁いを帯びた歌心溢れる表現と独特のブルース・フィーリングは唯一無二と言わざるを得ません。「modernart」(intro,1956年)コール・ポーターの名曲”What is this thing called love”、「The Return of ART PEPPER」(Jazz West 1956 年)”You go to my head”のバラードは最高。マイナー・レーベルからの
 「ソニー・クラークトリオのセッションvol1,2」も発掘盤として話題になりました。CONTENPORARY の代表作と評される「Art Pepper meets The Rhythm Section」(1957年)当時のマイルスのリズム隊を迎えての作品ですが、録音当日の朝に依頼を受けたようですが上手く共調されて一期一会として成功に導いています。
 「The MARTY PAICH QUARTET feaART PEPPER 」(1956 年,TAMPA)このアルバムはピアノのマーティ・ペイチがリーダーであるものの、どう聴いてもペッパーが主役になっています。軽快だけど決して軽薄でなく、良く鳴っているアルトは歌心が溢れ出で、凄みはないけれど、堅実で軽快にスウィングするリズム・セクションがまたペッパーに良く合のかと彼の作品中でも一番聴く機会が多いと思います。チェット・ベイカーと組んだ作品 「Playboys 」(WORLD PACIFIC)なども忘れられないものです。
 その後、15年のブランクがありますが、更生施設でコルトレーンの影響を受け演奏内容も変化して行きました。
 復帰後の最初のアルバムは、「Living Legend」(CONTENPORARY ,1975 年)旧知のメンバーとの再会セッションからでした。「THE TRIP」(CONTENNPORARY,1977年)モーダル的で、ジョージ・ケイブルス(pf)エルビン・ジョーンズ(ds)との共演そして「LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD」(CONTENPORARY,1977年)のライブ盤へと繋がります。「SO IN LOVE」「STRAIGHT LIFE」なども聴く機会が多いです。ソニー・ステットの日本企画の共演盤やラストレコーディングとされるジョージ・ケイブルス(pf)のDuo盤“Body and Soul”は両者の情緒的で豊かなエモーションは感銘深いです。
 1977年に初の日本公演をおこないました。日本の当局は麻薬問題に厳しく、麻薬の前歴のあるジャズやロックのミュージシャンの入国拒否が続いて起きていたからです。ペッパーは先の「自伝」の中でこう書いています。

僕はのろのろとマイクに向かって歩き始めた。
僕の姿が見えるや、観客席から拍手と歓声がわき上がった。
おじぎをし拍手のおさまるのを待った。
少なくとも5分間はそのまま立っていたと思う。

何とも言えないすばらしい思いに浸っていた。あんなことは初めだととも語ってもいます。このときの日本のファンの熱狂的な歓迎にペッパー自身が非常に感動したと語っています。
 それにしても、白人ジャズメンの大物たち(スタン・ゲッツ、ジェリー・マリガン、ビル・エヴァンズ、チェット・ベイカーそしてアート・ペッパーなど)黒人ジャズメン以上に麻薬の力から離れることが困難だったようです。
 ぺッパー1982年6月15日、脳溢血で死亡。



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