野口医院
2018-11-13

11月のレコードギャラリー(ボビー・ティモンズ)




 今月は、ソウルフルでファンキーピアノな ボビー・ティモンズです。

ボビー・ティモンズは1935年生まれ。両親、伯父叔母がピアニストという環境で育ち、祖父が牧師を務める教会でピアノを弾くようになり、この時の経験が後の彼のスタイル確立に大きく影響したと言われています。当時の音楽仲間にはJimmy、Percy、TootieのHeath三兄弟がいたそうです。 高校卒業後、奨学金を得てフィラデルフィア音楽アカデミーへと進学します。 1954年、モダン・ジャズのメッカ、ニューヨークへ。1956年にKenny Dorhamのグループで初のレコーディングを経験。その後、Chet Baker、Sonny Stitt、Curtis Fuller、Hank Mobley、Lee Morganらのレコーディングにサドマンとして参加することとなります。またClfford Jordan(ts)John Jenkins(as)双頭フロント(1957/Prestige)バップスタイルの演奏当時若手達の好演盤です。
 そして1958年、Art Blakey & The Jazz Messengersのピアニストに抜擢されることになるのですが、JMへの加入は、Benny Golsonの推薦だったそうです。ゴルソン曰く「ボビーは革新的なヤツで、ビ・バップも演れれば、ファンキーも演った。要は、何でもござれだったんだ。まさにブレイキーが切望していた人材だったんだ。ボビーには伸びしろがあった。ある曲を演る場合でも、ヤツはひとつだけでなく、いくつものアプローチを常に用意していたんだ。」と
 彼の在籍時のThe Jazz Messengersは、歴史的名盤【Moanin】(1958/BN4003)を発表。タイトル曲"Moanin'"はティモンズが作曲しました。世界的に名を揚げたのは、アート・ブレイキーのThe Jazz Messengersのメンバーとしてであった(在籍期間は1958年〜1959年および1961年)。1959年から1960年までキャノンボール・アダレイとも共演、1960年に再びブレーキーの許に復帰してアダレイを落胆させたとか。J・J・ジョンソンとも共演して、自身のトリオを率いるようになったのでした。
奏法の特長としては、メリハリの効いた強い打鍵とブロック・コード奏法が特色であり、特にファンキー色の強い曲において持ち味を発揮しました。
 フレージングにおいては次第にブルースやゴスペル寄りになっていきました。作曲家としては、ブレイキーに提供した「Moanin'」や「Dat Dere」、キャノンボール・アダレーに提供した「This Here」といったヒット曲を次々と世に送り出しました。これらの楽曲はいずれも、ゴスペルに如実に影響されたファンキージャズです。何よりも深遠な音作りで胸の内から熱くさせられる彼のピアノタッチは魅力でもあります。
 ピアノトリオとしては個人的には、初リーダー作【This Here is Bobby Timmons】(1960/Riverside)聴きやすさ、明快さがあまりジャズに慣れ親しんでいないリスナーにも受け入れ可能な解りやすさがあるからです。ピアノ・トリオ構成で"Moanin'"を再演しております。
 Moanin'"の大成功によって一躍脚光を浴びることになったティモンズでしたが、JMのメンバーとして活躍していた時期には、バンド・メンバーと共にヘロイン中毒になっていたそうです。
 Cnnonball Adderleyのグループでは、ライヴ盤【Cannonball Adderley in San Francisco】(1959)です。本国で5万枚以上のベストセラーを記録したとか、そしてライヴ録音盤が人気化する端緒となった作品として広く知られることとなりました。
Nat Adderleyの人気盤【Work Song】(1960/Riverside)に参加した際は泥酔状態だったため、数曲はティモンズ抜きで録音せざる得なかったとか。
1961年、ティモンズはJMを再離脱し、自身のトリオを率いての活動を本格化。Bass:Ron Carter、Drums:Tootie Heathでライヴ・ツアーを敢行。当時ティモンズが考えていた理想のピアノ・トリオ像は、Red GarlandとAhmad Jamlだったようです。
 グループのドラマーでティモンズの幼馴染でもあるTootie Heathは当時を回想し「当時がティモンズのピークだった。だけど、彼は完全にヘロイン中毒になってしまっていたんだ。バンド活動で得たギャランティもほとんどが麻薬の代金に消えて行ってしまったよ..」と述べています。
 【Sweet and Soulful Sounds】(1962/Riverside)はティモンズが絶頂期にあった時期の録音盤。明るく楽しいピアノ・ジャズの見本のようなアルバムです。オスカーやガーランドと比較すると若干知名度は落ちるかもしれませんが、名手であることは間違いありません。異色盤としては、【Holiday Soul】(1965/Prestige)楽しいクリスマス曲集ですが、しっかりジャズもやっていて、彼のアドリブもたっぷり聴けます。スイングし、適度にブルージーです、ドラムスのパーキンスが鈴を鳴らしているところもあって、笑みがこぼれます。「Auld Lang Syne」(蛍の光)が、面白いです。
 ただ、1960年代中盤以降、ティモンズは失速していきます。ヴィブラフォンに挑んだり、オルガンにチャレンジしたりもしましたが上手くいかず。アレンジャーを入れ、ホーン・セクションを揃えた多人数構成にも取り組みますがこちらもいまひとつ。演奏活動は続けていたそうですが、中でも【THE SOUL MAN!】(1966/Prestige)JM時代の同僚、ウェイン・ショ—タ—(ts)との共演少しモ—ダルぽく感じます。1968年を最後にレコーディング契約を失ってしまいます。
 ティモンズの凋落は、音楽家としての資質の問題というよりも、ドラッグとアルコールが理由だったそうです。Clark Terry率いるビッグ・バンドのピアニストとして1974年にヨーロッパ・ツアーに同行。ところが、機中で既に泥酔状態に。スウェーデンでのライヴ初日の直前にホテルのバーで倒れたそうです。結局、アメリカへ緊急帰国。数か月後、1974年に肝硬変のためこの世を去ります。わずか38歳の生涯を閉じました。
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