野口医院
2018-3-1

3月のレコードギャラリー(ハンク・ジョーンズ)




今月は、今年で生誕100年となるピアノのレジェンド ハンク・ジョーンズです。
 二人の弟には有名なtpのサド・ジョ—ンズ、dsのエルビン・ジョ—ンズがいます。1940年代後半より数多くのリ—ダ作品もありますが、サイドメンとしては600枚を越える作品に参加しています。テクニックの正確さ、タッチの軽さ、センスの良さかと思います。彼はアート・テイタムから影響を受け、テイタム自身も後輩ピアニストの中で期待できるのは、ナット・コールとハンク・ジョーンズと言ったとか。
 また、ナット・コールもハンクのピアノを研究したという話もあります。当初のノーマン・グランツ主宰のジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック(JATP)としてツアーを始めました。当時エラ・フィッツジェラルドの伴奏者でもあり、洗練されたハーモニーの能力を発展させ、その後も多くの歌伴に器用されています。オスカー・ピーターソンはJ.A.T.Pに参加した頃、ハンクからバラード・メドレーの弾き方を教わったという話も残っているほどです。
 また、テナ—のフィリップ・フィリップス、レスタ—・ヤング、スタン・ゲッツとの共演。この期間「Now's the Time」(1952年Verve)などチャーリー・パーカーと共にいくつかの歴史的に重要な録音にも参加。ハワ—ド・マギ—(tp)、ミルト・ジャクソン(vib)のアルバムや自身の初期のリーダ—作品などSAVOY盤に残されています。ポール・チェンバ—ス(b)「ベ—ス・オン・トップ」、ハード・バップの傑作であるキャノンボール・アダレイの「サムシン・エルス」のBN盤、中間派の大名盤であるコールマン・ホーキンスの「ザ・ハイ・アンド・マイティ・ホーク」、ミシェル・ルグランが残したビッグバンドの名作「ルグラン・ジャズ」などハンクが参加した名盤が数多く作られました。
 スタンダードからバラード、ブギウギ、ハード・バップ・スタイルの演奏まで、コンビネーションは抜群です、彼が亡くなったニュースは記憶に新しいですが、長期に渡り第一線で活躍したこんな名手は現れないでしょう。
 個人的には、20年程前になりましが、彼のソロのコンサートに行き、その時の打上げに参加した事がありました。特に会話の機会はなかったのですが、誠実で温厚な印象を受けました。ジャズという最高の音楽を100%美しく表現できるうる稀代のプレーヤーとして、晩年までいささかも衰えることがなく本当に素晴らしいと思います。
 一方、CBSスタジオのスタッフピアニストでもあり、エド・サリヴァン・ショーでTV出演する事もありました。またジョン・F・ケネディ大統領の誕生パーティで、マリリン・モンローが歌った有名な「ハッピー・バースデイ」のピアニストも彼であり、マリリン・モンローとは、後に共演しています。
 また、ブロードウェイ・ミュージカル『Ain't Misbehavin'』にピアニストと指揮者としての参加したことにより多くの人に、そしてミュージシャンに優れた資質を知らしめたようです。より新しいスタイルを確立し脚光を浴びた1975年のアルバム「Hanky Panky」や、1979年の来日でシェリー・マンらと鹿児島に来日した際のライブ録音「Live in Japan」、東京で録音された「Satin Doll Hank Jones solo&trio」や、「Portions」では、トリオとして、スピードと繊細さを兼ねた演奏も聴く事が出来ます。
 また、ハンクを敬愛するピアニスト、ジョン・ルイスとの共演「An Evening With Two Grand Pianos」、ズ—ト・シムズ「Zoot At Ease」、チャリ—・ヘイデン(b)やレッド・ミッチェル(b)とのDuo、トミー・フラナガン(pfとの共演「Our Delights」。また親日家でも知られ、中でも日本企画による最も有名なのは、グレート・ジャズ・トリオです。このグループは、1976年にこの名前を採用しましたが、それまでには既に彼はオリジナルメンバーであるロン・カーターとトニー・ウィリアムスとヴィレッジ・ヴァンガードで演奏し始めていました。その後もサイドメンを変え継続、多くの作品を残しています。
 1988年には、スタンダードに限定した「Great Standards」シリーズを録音、5枚のCDが完成させました。元々スタンダードを愛し1000曲以上記憶していたという彼ですが、この頃から、『Mr.スタンダード』とも呼ばれるようになりました。1990年代初頭には招かれて大阪音楽大学に客員教授として就任し、長期に渡り日本とアメリカを往復して後進の指導にあたり、関西地方を中心に各所で度々ソロ公演を行っています。
 作曲家としてのハンクにも注目すべきですが、自己主張の少ない自作品を演奏する事は少ないですが、「Hanky Panky」などは良く聴きます。彼は自作品に限らず作曲家のメロディを大変大切にすることでも知られています。2000年代以降、こう言った作曲家としてのハンク・ジョーンズに注目した作品「Honoring the Music of Hank Jones」が発売。またハンクを尊敬するチック・コリアらがジョーンズの作曲作品を演奏しています。
 その後も多くの演奏と録音を続け、2006年東京Jazzでは渡辺貞夫、チック・コリアと共演。2007年にはアルバム「Duets Live at Dizzy's Club Coca-Cola」がグラミー賞およびでノミネート。2008年東京Jazzでは、デイヴィッド・サンボーン、ロン・カーターらと共演、ドン・セベスキー編曲によるNHK交響楽団との共演も実現、同年にはホワイトハウスにて、ブッシュ大統領よりアメリカ国民芸術勲章を授与。2009年グラミー賞"Lifetime Achievement Award"も受賞。2010年2月、東京ブルーノートではロイ・ハーグローヴ、TOKUらと共演。帰国後もスケジュールは1年近く先まで決まっている人気ぶりで、世界各国へのツアー準備をしている矢先、2010年4月に体調を崩し緊急入院、闘病の末他界となりました。
 努力の人であり、日々のトレーニングを欠かさず、「200歳まで演奏を続ける」「練習は、1日休めば自分に分かる。3日休めばカミさんが分かる、7日休めば仕事が無くなる」が口癖だったとの事。  そして、生涯最期となるアルバム「Last Recording」では、デヴィット・ウォン、リー・ピアソンらと共演。このザ・グレイト・ジャズ・トリオにロイ・ハーブローヴ(tp)レイモンド・マクモーリン(ts)がゲストに加わり、選曲も最高。亡くなる2ヶ月前とは信じがたく、いつも通り端正で洗練された演奏です。91歳にして熱いプレイも聞かせ、最後までハンクはピアノの可能性に挑戦し続けた人なのでしょう。最近の女性ボ—カル歌伴では、Keiko・Leeやロバータ・ガルバリ—二やヒラリー・コールとのDuoなどは良く聴きます。
 死後に出されたクリスチャン・マクブライド(b)リーダ—作品でのDuoは静かな演奏の中にも緊張感溢れる演奏は敬服します。生前の数年前のインタビューで、『もっと上手くなりたい』と、一音一音が、フレ—ズの一つ一つが心に染み渡りこの人にしか無い凄い説得力でたくさんの録音を残してくれたこと、ある意味日本人発掘のジャズの巨人として永遠に歴史に名を残すピアニストだと。
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