野口医院
2018-1-8

1月のレコードギャラリー(ジョン・コルトレーン②)




 新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
 今月は、先月に続きコルトレーンです。
 アトランティックに移籍後、代表作『ジャイアント・ステップス』今更ながらですが、大袈裟なタイトルをつけたものですが内容は最高。『マイ・フェイヴァリット・シングス』マイ・フェア・レディからの最初のヒット曲となりました。『コルトレーン・ジャズ』『プレイズ・ザ・ブルース』『コルトレーンズ・サウンド』などのアルバムを発表。ソプラノ・サックスは、当時のコールマンとのメンバー、ドン・チェリーとの共演盤なども含めて、コルトレーンに採り上げられたことを契機に楽器としての魅力が広く認知され、以後ジャズ・フュージョン系のサックス奏者達に盛んに用いられるようになったようです。
 1961年、アトランティックを離れ、インパルスに移籍。この頃から、単なるハード・バップ・テナー奏者から脱却すべく独自の音楽性を模索する試みが始まったと思われます。自作自演の曲がふえ、また同じ曲の録音でありながら、異なるサイドメンを起用してテイクを重ねることなどを試行しているようです。
 1960年代のモード・ジャズ、さらにフリー・ジャズの時代へと、彼の構築したアドリブ方法論はジャズだけには留まらずロックなど、他ジャンルのサウンドや多くのプレイヤーにも影響を与えた功績は大きいです。その後マッコイ・タイナー、エルビン・ジョーンズらと鉄壁のレギュラー・バンドを結成。個人的には『コルトレ―ン』での<ソウル・アイズ>は魅力的です。その後、当時新進気鋭のリード奏者エリック・ドルフィーを自己のバンドに加えるとともに、アレンジャーとしても起用し、レギュラー・バンドで大規模なレコーディングを敢行した。大型ブラスセクションによる録音に取り組む。インパルス最初のアルバムとして『アフリカ・ブラス・セッション vol. 2』の2枚が発売された。ニューヨークのライブハウス「ヴィレッジ・ヴァンガード」にほぼ連日出演したとか、ヨーロッパツアーにも出演。これらの演奏の様子は、後年『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』を初めとする数多くのライブ・アルバムで聴くことが出来ます。
 一方で『クレッセント』『デューク・エリントン&』『バラ―ド』『&ジョ二―・ハ―トマン』『カルテット・プレズ』での<チム・チム・チェリ―『トラジション』の<ディア・ロ―ド>にあるような彼なりの歌心溢れる表現方法は、瞑想的で重量感は唯一無為だと確信しています。そして完成度の高さと精神世界の象徴として宗教的ではありますが、『至上の愛』だと思っています。彼の到達すべき方向性からも聴くべき必要があるのかと感じます。
 「私は聖者になりたい」と言う言葉から、神の啓示が、本当に意味するところは本人にしか分からないですが、演奏はどれもが自信に満ちたものであり、本人の内面に何らかの大きな精神的変化が訪れたものとえられます。その後メンバ―が代わり、他界する前の1965年『アセッション』総勢11名ほどの集団即興演奏、『クルセ・ママ』民族音楽的なモチーフとした曲調は不思議と印象的です。1966年7月『ジャパン・ライブ』ではソロが長過ぎて日本では「やめんかい!」とドラムがヤジを出されたとか?自らの方向性を模索しながら進んでいったことが判ります。
 1967年遺作『エクスプレッション』これは思ったよりもかなりおとなしい演奏ですが、特徴的なのはこの作品で初めてフルートを吹いていることです。1964年6月29日に亡くなっているドルフィーの遺品のフルートと思われます。<トゥ・ビ―>で聴けるこのフルートはインドの民謡をベースにしているそうです。彼の一瞬一瞬の自分を否定し、次の自分へと前進し、その自分をまた否定し前進していったのでしょう。1967年7月17日の死までのひたすら前進するその生き様を聴くべきなのだろうと思うところです。尚葬儀では尊敬するオ―ネット・コ―ルマンが演奏したとのことです。
イメージ

イメージ

イメージ




ご連絡先