野口医院
2017-10-5

10月のレコードギャラリー(ポール・デスモンド)




 今月は、アルトサックスのポール・デスモンドです。
 当時、アルトサックスと言えばチャーリ―・パーカーですが、ポールと親交が深く互いに刺激し認め合う仲だったようです、パーカーが自分のサックスを質入れてポールの楽器を借りて吹いていたとの逸話も残っています。また大学でのキャンパスライブを企画し好評を博しファンタジ―に録音されています。
「Jazz at Oberlin」は初期のものでは良く聴きます。何より、デイブ・ブールべックカルテット在籍時に作曲した「テイク・ファイブ」が特に有名ですが、発売元のコロンビアは当初は積極的ではなったようですが、しかし大衆には受け入れられまたたくまに世界中を席巻しジャズの新しいファンを獲得するモンスター級の曲となりました。
 その他コロンビアに多数録音され世に出ています、彼のリーダ―作品としては、「First Place Again」(WARNER BROS)1959年、雑誌(Playboy誌)の人気投票で1位になったことを記念して作られたアルバムですが、内容は素晴らしいアルバムと思います。冒頭デスモンドのやわらかな音色、唯一無二で、このような音でアルトサックスを吹いた人は他にいません。
 またジム・ホールとのコラボは最高。「Take Ten」「Easy Living」「Bossa Antigua」などジム・ホールの共演はボサノバなどで、スタン・ゲッツと共に後世にサックスとしてのスタイルの形となったように感じます。その後70年代に入りCTIのアルバムではチェット・ベイカー名義で出た盤ですが日本邦題「枯葉」主役はあくまでチェット・ベイカーなのですが、ポールもソロを取ります、何と言ってもこのメンツでの演奏が最高に素晴らしいです!
  遺作となった〈Paul Desmond・Last Live〉という作品があるのですが快演そして愛聴盤です。この頃に、肺ガンの宣告を受け、あと半年ほどの命だと言われた時、彼は51才でした。このアルバムの演奏時の写真は、髪の毛が抜け落ちたポールが、酒のグラス片手にタバコをくわえた姿があります。録音が終わった時に「もう何も残っていない」とつぶやいたとか。77年の初めには病室で過ごすこととなり、彼の病室には、チェスをやったり会話を楽しむベーシストのチャーリー・ミンガスの姿が度々見かけられ、ミンガスとは高校生からの40年以上も親交があったようです。
 そして1977年5月30日、ポール・デスモンドは亡くなりました。デイブ・ブルーべックの相性については、どちらが欠けても2人はあれほどにはなれなかっのでは。成長のためにはお互いが必要であり、相乗効果があのような音楽をもたらしたのだと思いますが、彼の遺言による印税収入から赤十字への寄付は、2003年の時点で総額4億円を超えたとの事です!!

イメージ

イメージ




ご連絡先