野口医院
2017-8-3

8月のレコードギャラリー(アール・ハインズ)




 今月は、ピアノのアール・ハインズです❗️
 自分ごとの古い話しとなりますが、大学2回生の頃でしたか、当時の先輩の薦めでアール・ハインズトリオのライブに行くこととなり、凄く感動したのを今も記憶に残っています。音楽家としては、もちろん素晴らしいのですが、それはエンターテイナーとしても優れているということ。リスナーを楽しませることのできる演奏家で、とんでもなくダイナミックかと思えば柔軟でもあり、何より超絶テクニックの持ち主でもあります。音楽を聴く歓びをストレートに刺激してくれるタイプのジャズメンと言うことができます。
 トランペッターのルイ・アームストロングと共演し大きな影響を受け、後のビバップやその後のジャズピアノにも受け継がれ、独自の革新的な奏法を持ち込んでスウイングピアノの発展に大きな貢献したピアニストです。ハインズは自身のビッグバンドを結成、Grand Tellace Cafeの設立に成功。1928年にハインズは大物ギャング、アル・カポネに気に入られ、彼の支配下にあった「グランド・テラス」で自分のビッグバンドを率いて12年間活動し、コットンクラブのデューク・エリントン・オーケストラと双璧の人気を誇る常設バンドへと成長させます。Grand Tellaceでのショーは全米にラジオを通して生中継され、ハインズは全国的な人気を獲得。若き日のNat King Coleもハインズを聴き、ジャズを学んだそうです。ハインズの”生徒”として最も良く知られているのが神童Art Tatum。テイタムも大のハインズ・ファンで、彼のレコードを聴きながらピアノを練習していたらしいです。1940年に「グランド・テラス」は閉店。ハインズはニューヨークに渡り自身のバンドを再編します。このバンドには後にモダンジャズと呼ばれる「ビ・バップ」スタイルを築き上げる、チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーが在籍しており、”ジャズピアノの父”アールハインズのバンドはまた次の時代のジャズ、ビバップを生む父親的バンドであったとも言えるでしょう。
 その後ハインズのバンドの時代は終わり、解散後は少人数のコンボやルイ・アームストロングのバンドなどでピアノをプレイしていました。そして1950年代後期から60年代になると、大衆音楽としてのジャズの勢いも衰え、ハインズは引退してカリフォルニアでタバコ屋を営んでいたとか。
しかし1959年のモンタレ‐JazzFesにおいては、彼のピアノは、新しいスタイルとして好評を博したようです。1964年にピアニストとしてのアールハインズが、スイング時代の3大ピアニストとして発掘され再び世間から評価されることになります。 その流れでハインズのピアノコンサートがニューヨークで行われ、1966年ダウンビート誌の殿堂の「国際批評家投票」を受賞。また、世界の「第1のジャズ・ピアニスト」に選出され、そしてさらに5回受賞した。
 復帰後、ハインズのソロピアノやトリオでのレコードが次々にリリースされ、60歳過ぎたハインズにピアニストとしてのキャリアの第二の全盛期が来ることになるのです。
レコードについては、どうしても音質の問題もあり復帰後の音源を聴く機会が多いですが。中でも"Here Comes”(CONTACT盤)リチャード・デービス(b),エルビン・ジョ‐ンズ(ds)のトリオ。ジャケットの写真も印象的で、ここまで明るくそれでいて緊張感溢れるピアノ・トリオは、そうそうはないのではと考えます。"Fatha"ではボーカルも提供してくれています。ソロではイタリア盤"Plays Gershwin"は良く聴きます。ジョニー・ホッジスとの共演盤"STRIDE RIGHT"(Verve盤)ホッジスのアルトの音色にノリ好調、"Once Upon a Time"(Impuise盤)でも共演しています。後"AT HOME"(deimark盤)自宅のピアノで「心ゆくまで弾いてみたい。」との希望から実現。こちらもを歌っていますが、面白いのは、Nat King Coleに似ています。どちらが先生か生徒ですが...
 ピアノ・スタイルも「スウィング・ピアノ」にも関わらず、後年は明らかに「モダン・スタイル」を確立しているように思います。 1983年に79歳で亡くなるまで、コンサートやレコーディングなど精力的に活動しました。亡くなる寸前まで演奏活動を続けていたようです。しかし彼の実績の過小評価ぶりには、些か驚いてしまいます。生涯を通して、一定レベルの名盤を世に送り出しました。本当に凄い方だと思います。 自分ごとの古い話しとなりますが、大学2回生の頃でしたか、当時の先輩の薦めでアール・ハインズトリオのライブに行くこととなり、凄く感動したのを今も記憶に残っています。音楽家としては、もちろん素晴らしいのですが、それはエンターテイナーとしても優れているということ。リスナーを楽しませることのできる演奏家で、とんでもなくダイナミックかと思えば柔軟でもあり、何より超絶テクニックの持ち主でもあります。音楽を聴く歓びをストレートに刺激してくれるタイプのジャズメンと言うことができます。
 トランペッターのルイ・アームストロングと共演し大きな影響を受け、後のビバップやその後のジャズピアノにも受け継がれ、独自の革新的な奏法を持ち込んでスウイングピアノの発展に大きな貢献したピアニストです。ハインズは自身のビッグバンドを結成、Grand Tellace Cafeの設立に成功。1928年にハインズは大物ギャング、アル・カポネに気に入られ、彼の支配下にあった「グランド・テラス」で自分のビッグバンドを率いて12年間活動し、コットンクラブのデューク・エリントン・オーケストラと双璧の人気を誇る常設バンドへと成長させます。Grand Tellaceでのショーは全米にラジオを通して生中継され、ハインズは全国的な人気を獲得。若き日のNat King Coleもハインズを聴き、ジャズを学んだそうです。ハインズの”生徒”として最も良く知られているのが神童Art Tatum。テイタムも大のハインズ・ファンで、彼のレコードを聴きながらピアノを練習していたらしいです。1940年に「グランド・テラス」は閉店。ハインズはニューヨークに渡り自身のバンドを再編します。このバンドには後にモダンジャズと呼ばれる「ビ・バップ」スタイルを築き上げる、チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーが在籍しており、”ジャズピアノの父”アールハインズのバンドはまた次の時代のジャズ、ビバップを生む父親的バンドであったとも言えるでしょう。
 その後ハインズのバンドの時代は終わり、解散後は少人数のコンボやルイ・アームストロングのバンドなどでピアノをプレイしていました。そして1950年代後期から60年代になると、大衆音楽としてのジャズの勢いも衰え、ハインズは引退してカリフォルニアでタバコ屋を営んでいたとか。
しかし1959年のモンタレ‐JazzFesにおいては、彼のピアノは、新しいスタイルとして好評を博したようです。1964年にピアニストとしてのアールハインズが、スイング時代の3大ピアニストとして発掘され再び世間から評価されることになります。 その流れでハインズのピアノコンサートがニューヨークで行われ、1966年ダウンビート誌の殿堂の「国際批評家投票」を受賞。また、世界の「第1のジャズ・ピアニスト」に選出され、そしてさらに5回受賞した。
 復帰後、ハインズのソロピアノやトリオでのレコードが次々にリリースされ、60歳過ぎたハインズにピアニストとしてのキャリアの第二の全盛期が来ることになるのです。
レコードについては、どうしても音質の問題もあり復帰後の音源を聴く機会が多いですが。中でも"Here Comes”(CONTACT盤)リチャード・デービス(b),エルビン・ジョ‐ンズ(ds)のトリオ。ジャケットの写真も印象的で、ここまで明るくそれでいて緊張感溢れるピアノ・トリオは、そうそうはないのではと考えます。"Fatha"ではボーカルも提供してくれています。ソロではイタリア盤"Plays Gershwin"は良く聴きます。ジョニー・ホッジスとの共演盤"STRIDE RIGHT"(Verve盤)ホッジスのアルトの音色にノリ好調、"Once Upon a Time"(Impuise盤)でも共演しています。後"AT HOME"(deimark盤)自宅のピアノで「心ゆくまで弾いてみたい。」との希望から実現。こちらもを歌っていますが、面白いのは、Nat King Coleに似ています。どちらが先生か生徒ですが...
 ピアノ・スタイルも「スウィング・ピアノ」にも関わらず、後年は明らかに「モダン・スタイル」を確立しているように思います。 1983年に79歳で亡くなるまで、コンサートやレコーディングなど精力的に活動しました。亡くなる寸前まで演奏活動を続けていたようです。しかし彼の実績の過小評価ぶりには、些か驚いてしまいます。生涯を通して、一定レベルの名盤を世に送り出しました。本当に凄い方だと思います。




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