野口医院
2017-5-1

5月のレコードギャラリー(アニタ・オデイ)




白人女性ボーカルのアニタ・オデイです。彼女こそ、モダン・ジャズ以降のジャズ・ヴォーカルにおける定番ともいえるスタイルを確立したアーティストだと思います。7歳の時に受けた扁桃摘出手術の際、医師が過って口蓋垂(いわゆるノドチンコ)を切断してしまい、ヴィブラートをかけられず、音を伸ばすことも出来なくなり、「あたしはヴィブラートをかけられないから歌手ではないのよ。ヴィブラートをかけたかったら頭を振るしかないの。」と…

彼女がもっとも影響を受けたジャズ・ヴォーカリスト、ビリー・ホリデイの存在があたようですが、けっしてシャウトすることなく「クール」かつ「器楽的な発声」を用いるビリーの歌唱スタイルは、白人であり、なおかつ誰からの指導も受けなかったアニタにとっては唯一の教師だったようです。声量や音程の不安定さ、彼女はそれを逆手にとり、即興性を生かし、けっしてパワフルに歌わない「軽さ」の重視、それに彼女独特のハスキー・ヴォイスが加わることで、現在では当たり前となっている都会的でお洒落なジャズ・ヴォーカルが生まれたのでした。

アニタはジーン・クルパ楽団、スタン・ケントン楽団で数々のミリオンセラーを飛ばす。1945年、ダウンビート誌はアニタをベスト女性バンド・ヴォーカリストに選出、1年も経たずにナイトクラブでソロ歌手として独立することとなります。

名プロデューサー、ノーマン・グランツに見初められたアニタは、彼のレーベル、クレフとノーグランに録音を開始、50年代半ばにはヴァーヴVerveに一連のアルバムを吹き込む。オスカー・ピ‐タ‐ソンをバック『Anita Sings the Most』堂々と歌っています。
『Anita O'Day Sings the Winners』(1958)ビリー・ホリディ愛唱歌集『Trav'lin Light』や『Anita with the Three Sounds』等々ハイライトといえる期間です。
1958年、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演したアニタは、ドキュメンタリー映画『真夏の夜のジャズ』だった。映画では"Tea For Two"と"Sweet Georgea Brown"がフィーチュアされ、この名唱によりアニタの人気は一気に国際的なものとなった。しかし同時にアニタは十数年間にわたるヘロイン中毒の泥沼に落ち込んでいったのである。
その後1975年、日本のトリオ/ケンウッド・レコードがロスで『アニタ・オデイ1975』を録音、プロモーターのオールアートがツアーを組み、復活のステージが整えられた。アニタの日本での人気が復活することになりました。日本にも何度となく来日しています、私もライヴに行ったことを想い出します。
1981年には自叙伝を出版、著書の中で、楽屋での堕胎、神経衰弱、2度の離婚、麻薬所持による入獄、ヘロイン中毒などを赤裸々に語った。
1985年には、カーネギーホールでデビュー50周年を記念するコンサートが催され。
彼女のすばらしいところは、声とテクニックを駆使し暖かく、選曲も興味深く時代に合ったノリで歌っています。ほとんどがワン・テイクだそうで、上手く仕上げています。

肺炎のためにロスの病院で加療中、睡眠中に心不全で87才の生涯を閉じたとの事です。
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