野口医院
2017-2-7

2月のレコードギャラリー(レッド・ガーランド)




彼は、18歳で陸軍に入隊同時に音楽とボクシングに精を出していたという事、そして軍隊に入ってからピアノを始めたらしく本当凄いですね。除隊後にライト級のプロボクサーとなり30勝1敗、最後の1敗は、旧知の仲間だったらしく倒すことが出来なかったという、なぜボクサー上がりの大人になってピアノ始めた人がここまで一発芸とはいえ聴かせれるのかが謎です。プレステージに多数の作品を残しています。かのマイルスがリーダーを受け持つに至り、白羽の矢が立ったのがアーマッド・ジャマル。しかし彼に誘いを断られ、ガーランドになったとか。またメンバーのコルトレーンを推薦したのも彼です。

しかしコロンビアの移籍に伴いプレステージに残した有名な「4部作」など当時マイルスクインテットは人気は相当なものだったようです。(マイルス自叙伝参照)
ガーランドは、トリオ演奏だと、ちょっと乗り過ぎてクドイ感がみられるのですが、マイルスのバッキングの時は、抑制が効いて器用さが伺えます。おかげで名声も得たと解釈します。マイルスリーダーの「マイルストーン」でのトリオ演奏“ビリーボーイ“は何故か良く聴きます。一時期リバーサイドに移籍「Bright And Breezy」 特に1曲目の"On Green Dolphin Street"が最高。ガーランドは意外にラテン感覚も併せ持っていると思います。
「マンテカ」も一度お聴きください。

その後、41歳の半ばでミュージシャンとしての不規則な生活と当時のジャズシーンの変化に合わなくなってきたことが関係していると。60年代後半から彼に関わらずジャズが最も、厳しい時期となりビジネス感覚が必要だったようです。70年代ドイツのMPS盤、後年米国でのGalaxy盤などに作品を残しています。61歳の誕生日を目前に心臓病で他界。
ジャズと言う音楽の進化と発展に翻弄されながらも、マイルスからの誘いを受け、何より進化させたマイルスに翻弄させられたのではと考えるところですが・・・
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